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平成29年度卒業研究、修士・博士論文発表会が開催されました

2月4日(日)、「平成29年度卒業研究、修士・博士論文発表会」が公開講座に続いて開催されました。今年度は卒業研究一名、修士論文二名、博士論文の経過報告一名の4人の方々によって発表がおこなわれました。外は雪が吹き荒れていましたが、会場では多数の参加者や客員教員の出席のもとで活発な討論が行われました。
発表された皆様と簡単な発表内容は次の通りです。発表が終了すると発表者のご努力とご苦労に対して大きな拍手で讃えました。

・北垣 秀俊さん(卒業研究・心理と教育コース)
テーマ:「死と再生の物語」と思春期-オオクニヌシ神話を中心に-   
オオクニヌシの2度の「死と再生の物語」を取り上げ、類似した二つ物語との共通点と相違点を比較しながら考察した。「死と再生の物語」は数多いが、損壊した遺体を回収し、再生させる物語は多くないと思われるので、日本的な心性を分析する材料を探った。オオアナムヂ(オオクニヌシ)神話の類話として「中年期の危機」の心理過程を表象したオシリス神話(エジブト)と思春期的母殺しの物語である柏槇のはなし(グリム)を選び、殺害者、殺害方法、再生の方法、再生の協力者、再生の結果、復讐者、復讐の結果についてそれぞれ比較した。オオクニヌシの二度の死と再生は思春期の身体的変化と自立のきっかけを表象していた。

・品川 隆博さん(修士論文・生活健康科学プログラム)
テーマ:過疎の農山村地域での地域福祉活動の現状と今後の課題-島根県邑南町布施地域を事例として-
島根県邑南町布施地域は人口や世帯数の減少、高齢化の進行により、安心して充実した住民生活の維持が難しくなることが予測された。本研究の目的は新たな地域運営を目指す「邑南町地域コミュニティ再生事業」を調査し、地域の持続可能性を明示することである。研究の手法は参加型のアクションリサーチを用いた。組織として既存の自治会を補完する組織を設置し、構成する委員会を重層的に運営する体制にした。その結果、①活動組織がリーダー集団を形成し、自治会・公民館・活動組織の三位一体化した地域運営につながった。②地域活動の主力が60歳代後半から70歳代の住民で、この地域で暮らし続けたいという思いが強く働き、地域運営をけん引した。今後は次世代への人材育成が必要である。③補助金の財政支援を得たことで組織が有効に機能した。提言として行政の支援事業の提供とワンストップサービスが必要である。

・金森 詞子さん(修士論文・人間発達科学プログラム)
テーマ:定時制通信制高校での教育相談員制度の導入が生徒支援・教育支援に及ぼした効果
島根県定時制通信制S高校における教育相談員制度の導入に伴う効果について調査した。はじめにS高校の全体像と教育相談体制を説明した後、S高校における教育相談員の位置づけを述べた。本研究の目的はこの制度を導入することで生徒支援効果と教育支援効果があったかどうか調査することである。調査方法は半構造化面接法によって行った。これは一定の質問に従って面接を進めながら、被面接者の状況や回答に応じて面接者が質問の表現、順序、内容などを変えることができる方法である。面接を許諾された12人の教育相談員に30分から60分インタビューしたあと、記述したものを一つ一つ確認作業を行い、考察した。生徒支援効果としては、教員側の視点が得られたこと、生徒の気持ちを代弁していることである。教育支援の効果として心身の負担の軽減になったこと、情報の共有、校内連携ができたことなどである。

・福頼 尚志さん(博士論文・経営科学プログラム)
テーマ:地方消費者行政における「消費者の自立の支援」(経過報告)
博士後期課程の研究課程の研究指導方法は①基盤研究(特論と研究法)、②特定研究(論文指導)から成るが①は既に修了しいる。このテーマを選んだ問題意識は, 「自立した消費者」「消費者市民社会」は現実的か? 行政はどこまで関わるべきか? 行政の「消費者支援」は全体最適化を志向すべき等である。この研究ため、第一査読論文として「自治体における消費者教育の優先順位」(日本消費者教育学会「消費者教育」第37冊(2017.9))を発表した。その内容は、消費者教育推進法の「推進性」は、行政に総合的市民育成の役割を担わせた初の立法例であることや、自治体の人員減と政策選択への影響、消費者市民教育の政策選択において自治体は、「理想的市民の育成のため、理想を実現する手厚い住民サービスか、自己責任が拡大する中で市民社会の前提条件づくりか」について考察した。現在、第二査読論文「消費者の脆弱性と行政支援の射程」(仮)を作成中である。

最後にセンター所長や客員教員から講評がありました。これからの研究がさらに進展することを期待したいと思います。

公開講座「セザンヌの足跡を追う」が開催されました

2月4日(日)、島根学習センター 3階 第1講義室において、公開講座 美術に親しむIV「セザンヌの足跡を追う-南仏の故郷 エクス・アン・プロヴァンス-」が開催されました。当日はお昼前から松江は猛烈な吹雪に見舞われ出席者は少ないのではないかと懸念されましたが、多くの参加者があり盛況でした。

講師の佐々有生島根学習センター所長は「美術に親しむ」シリーズとして毎年島根県の各地で公開講座として講演されてきました。2014年7月に隠岐・西ノ島町で開催された「美術に親しむ~オランダ・ベルギーを訪ねて~」を皮切りに2015年度は「ゴッホの足跡を追う-パリ、アルル、サン・レミ、オーヴエルを訪ねて-」、2016年度は「モネを追うセーヌ河岸の旅-パリ、ル・アーヴル、ルーアン、ジヴエルニ--」と続き、今年度はポール・セザンヌの生涯の足跡を追いました。

講演の内容は①青年の時代、②印象主義の時代、③印象主義を超えて、④モチーフを求めてに大別できます。

1839年1月19日、セザンヌは南フランスのエクス・アン・プロヴァンスで生まれた(略称エクス)。エクスはプロヴァンス伯爵領の首都として古くから繁栄し、現在は学術・芸術都市としてプロヴァンス地方の観光の拠点となっている。ここはサント・ヴィクトワール山の西、マルセイユの30kmほど北に位置し、アルク川とトルス川によって作られた盆地の中にあり、1680年に建立されたミラボー大通りを飾るロトンド大噴水が有名である。搭の上部の3体の像はそれぞれ司法・農業・芸術を表している。ローマ時代より「水の都」と称され、街のあちこちに噴水や泉がある。水は温かい。郊外に彼の臨終の家や墓所、アトリエが現存している。

父のルイ・オーギュストは裕福な帽子商として財をなし、この地で銀行を創立した。また、マリーとローズという2人の妹がおり、マリーとは生涯親しくつきあった。20歳のとき、父がプロヴァンス地方の統治者の邸宅であるジャ・ド・ブッファン邸を購入したが、これがセザンヌにとって生涯の隠れ家となった。

22歳のとき、中学時代の親友エミール・ゾラの誘いで、世界の芸術家が集まるパリに出る。しかし、内向的なセザンヌは生活に不安と戸惑いを感じ、僅か半年で戻ってしまい、中学校の頃に通っていたエクスの素描学校に再入学する。邸宅の居間に4枚の四季を表す寓意画を描いた。23歳のとき、父が再びパリに戻るよう勧めたため、アカデミー・スイスに通い、ここでルノワールやモネらと知り合う。翌年、サロン(官展)に初めて応募したが落選する。27歳のとき、ピサロやギョーマンら後の印象派画家と知り会った。30歳のとき、将来の妻、オルタンス・フィケと知り合い、普仏戦争の間、南フランスの小村レスタックで過ごした。ピサロから印象主義を教えられ、これまでより色彩が次第に明るくなった。絵の具は塗り重ねると黒くなり、暗くなるが、光を当て白色にした。また、キャンパスに塗っていないところを残した。33歳のとき、息子ポールが誕生し、住まいもオーヴェル・シュル・オワーズに移した。

35歳のとき、印象派第1回展に「首吊りの家」を出品したが非難を浴びた。第3回展も17枚の作品を出品するも酷評された(38歳)。因みにピサロは印象派展(8回開催)に全て出展している。セザンヌは失望し、友人のサークルや印象派から離れ、パリからエクスのジャ・ド・ブッファンに帰り、エクスとレスタックを行き来するようになる。

41歳の頃から次第に印象主義を乗り超える方向に進み、主として南フランスで製作を続けながら、多くの風景画や静物画を描いた。特にリンゴをモチーフとして描いた絵が多い。彼は輪郭を描かずに、色を塗ることと形を作ることを同時に行った。右の写真の絵(「台所のテーブル 籠のある静物」)はよく見ると変である。大きな果物。落ちそうな果物。机のふち折れそう。遠近法や3Dの世界は無視。とにかくいろいろの高さや角度から観た通りに描いている。そしてこの絵が変だと気付かせないくらい、一つの絵としてまとまっていた。また、この地方の象徴的な山であるサント・ヴィクトワール山の風景も数多く残している。一方から観ると富士山のような山であるが、裏側から見ると長い山脈のように続いているのに驚かされた。

47歳のとき、ゾラと決別。息子ポールが14歳のとき、オルタンスとは正式に結婚したが、10月に父が亡くなった。邸宅のアトリエが本格的なアトリエになった。

56歳のときの12月、パリの画商ヴォラールが開いた個展により、ようやく世論が高まり始める。「ビベミュスの石切り場」を製作。63歳のときに、ローヴのアトリエに移って制作するようになるが、67歳(1906年)のときの秋、製作中に嵐に見舞われ10月23日、肺炎で死去。生地プロヴァンスで歿した。

結びのことばから-「セザンヌは エクスの”自然”から学び 自らを信じて 自らの視覚世界を 切り開き続けました いつの時代にあっても 人は 自らを取り巻く「ひと・もの・こと」などとかかわり合い 学び合いながら 自らを知り 自分らしく 生きていく存在です」