公開講座「セザンヌの足跡を追う」が開催されました

2月4日(日)、島根学習センター 3階 第1講義室において、公開講座 美術に親しむIV「セザンヌの足跡を追う-南仏の故郷 エクス・アン・プロヴァンス-」が開催されました。当日はお昼前から松江は猛烈な吹雪に見舞われ出席者は少ないのではないかと懸念されましたが、多くの参加者があり盛況でした。

講師の佐々有生島根学習センター所長は「美術に親しむ」シリーズとして毎年島根県の各地で公開講座として講演されてきました。2014年7月に隠岐・西ノ島町で開催された「美術に親しむ~オランダ・ベルギーを訪ねて~」を皮切りに2015年度は「ゴッホの足跡を追う-パリ、アルル、サン・レミ、オーヴエルを訪ねて-」、2016年度は「モネを追うセーヌ河岸の旅-パリ、ル・アーヴル、ルーアン、ジヴエルニ--」と続き、今年度はポール・セザンヌの生涯の足跡を追いました。

講演の内容は①青年の時代、②印象主義の時代、③印象主義を超えて、④モチーフを求めてに大別できます。

1839年1月19日、セザンヌは南フランスのエクス・アン・プロヴァンスで生まれた(略称エクス)。エクスはプロヴァンス伯爵領の首都として古くから繁栄し、現在は学術・芸術都市としてプロヴァンス地方の観光の拠点となっている。ここはサント・ヴィクトワール山の西、マルセイユの30kmほど北に位置し、アルク川とトルス川によって作られた盆地の中にあり、1680年に建立されたミラボー大通りを飾るロトンド大噴水が有名である。搭の上部の3体の像はそれぞれ司法・農業・芸術を表している。ローマ時代より「水の都」と称され、街のあちこちに噴水や泉がある。水は温かい。郊外に彼の臨終の家や墓所、アトリエが現存している。

父のルイ・オーギュストは裕福な帽子商として財をなし、この地で銀行を創立した。また、マリーとローズという2人の妹がおり、マリーとは生涯親しくつきあった。20歳のとき、父がプロヴァンス地方の統治者の邸宅であるジャ・ド・ブッファン邸を購入したが、これがセザンヌにとって生涯の隠れ家となった。

22歳のとき、中学時代の親友エミール・ゾラの誘いで、世界の芸術家が集まるパリに出る。しかし、内向的なセザンヌは生活に不安と戸惑いを感じ、僅か半年で戻ってしまい、中学校の頃に通っていたエクスの素描学校に再入学する。邸宅の居間に4枚の四季を表す寓意画を描いた。23歳のとき、父が再びパリに戻るよう勧めたため、アカデミー・スイスに通い、ここでルノワールやモネらと知り合う。翌年、サロン(官展)に初めて応募したが落選する。27歳のとき、ピサロやギョーマンら後の印象派画家と知り会った。30歳のとき、将来の妻、オルタンス・フィケと知り合い、普仏戦争の間、南フランスの小村レスタックで過ごした。ピサロから印象主義を教えられ、これまでより色彩が次第に明るくなった。絵の具は塗り重ねると黒くなり、暗くなるが、光を当て白色にした。また、キャンパスに塗っていないところを残した。33歳のとき、息子ポールが誕生し、住まいもオーヴェル・シュル・オワーズに移した。

35歳のとき、印象派第1回展に「首吊りの家」を出品したが非難を浴びた。第3回展も17枚の作品を出品するも酷評された(38歳)。因みにピサロは印象派展(8回開催)に全て出展している。セザンヌは失望し、友人のサークルや印象派から離れ、パリからエクスのジャ・ド・ブッファンに帰り、エクスとレスタックを行き来するようになる。

41歳の頃から次第に印象主義を乗り超える方向に進み、主として南フランスで製作を続けながら、多くの風景画や静物画を描いた。特にリンゴをモチーフとして描いた絵が多い。彼は輪郭を描かずに、色を塗ることと形を作ることを同時に行った。右の写真の絵(「台所のテーブル 籠のある静物」)はよく見ると変である。大きな果物。落ちそうな果物。机のふち折れそう。遠近法や3Dの世界は無視。とにかくいろいろの高さや角度から観た通りに描いている。そしてこの絵が変だと気付かせないくらい、一つの絵としてまとまっていた。また、この地方の象徴的な山であるサント・ヴィクトワール山の風景も数多く残している。一方から観ると富士山のような山であるが、裏側から見ると長い山脈のように続いているのに驚かされた。

47歳のとき、ゾラと決別。息子ポールが14歳のとき、オルタンスとは正式に結婚したが、10月に父が亡くなった。邸宅のアトリエが本格的なアトリエになった。

56歳のときの12月、パリの画商ヴォラールが開いた個展により、ようやく世論が高まり始める。「ビベミュスの石切り場」を製作。63歳のときに、ローヴのアトリエに移って制作するようになるが、67歳(1906年)のときの秋、製作中に嵐に見舞われ10月23日、肺炎で死去。生地プロヴァンスで歿した。

結びのことばから-「セザンヌは エクスの”自然”から学び 自らを信じて 自らの視覚世界を 切り開き続けました いつの時代にあっても 人は 自らを取り巻く「ひと・もの・こと」などとかかわり合い 学び合いながら 自らを知り 自分らしく 生きていく存在です」